私たちが住む岡新田の辺りは、江戸時代以前には阿賀野川と海のような福島潟に挟まれた湿地帯でした。
その時代には、この辺の集落は里飯野村、山飯野村、長戸呂村、高森村があるだけでした。
慶長3(1598)年、溝口秀勝が新発田6万石城主としてやって来てから新発田藩の代々の藩主は、年貢を増やすために福島潟の干拓を進め岡新田は、江戸時代前期には成立していたそうです。
その後、大地主や農民、そして国による開拓が続けられ、昭和50年には現在の福島潟の形ができました。
岡新田は、明治21年の政府令により6つの村が合併して、長場村(長場新田、岡新田、上堀田村、下堀田村、大月新田、里飯野村)になりました。
明治34年には、長場村と亀浦村(浦木村、上土地亀新田、下土地亀新田、太子堂興野、長戸呂新田)、嘉山村のうち大字内沼、大月、高田村新田地先を合併し長浦村ができました。村名は、長場村と亀浦村から一字ずつ取って長浦村としました。 嘉山村のうち、内沼や大月が葛塚町に合併しなかったのは、「内沼や大月は、嘉山や前新田とは新井郷川を隔てていて行き来が不便なので、この機会に嘉山村から離れた方がよい。」という理由からだったそうです。
昭和30(1955)年に葛塚町、木崎村、岡方村が合併して豊栄町ができ、その後、昭和34(1959)年に長浦村が豊栄町に加わり、昭和45(1970)年に豊栄市に変わりました。その後、平成の大合併(平成17(2005)年3月)で近隣12市町村とともに新潟市に合併して、本州日本海側初の政令指定都市となりました。







